「早く死ぬことができて嬉しい人もいる」

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 最近、 友人の母親が闘病の末亡くなった。

 

 亡くなったという大事な事を自分に話してくれて嬉しい反面、なんとも言えない気持ちにもなった。

 

 僕は中学生の頃に父親を亡くしている。父親と母親ではまったく感じる気持ちは違うのかもしれないけれど、それでも親を亡くすという事に関して同じ事を感じているのかもしれない。

 

 家に帰れば居た時、病院に行けば居た時はもう無くなった。何をしても日本が吹っ飛んだとしても「居ない」という事は変あることができない。

今は亡くなったばかりで忙しいから実感がなかったりするけれど、落ち着いた時に「本当に居ないんだ...」とこれから感じるだろう友人の事を考えると心が痛くなる。

 

そして、彼の母はこれからたくさんの出来事があるだろう自分の子供をまだ見届けたんだろうなって思うと苦しい気持ちになるーー重病がもたらすものは残酷な現実しかない。

 

 実際、すべて僕が勝手に想像しているだけなので実際はどうなのかはわからない。

 「亡くなった」

そんな言葉を聞くと亡くなった方の気持ちを考えてしまうんだ。

 

ただ、気持ちを考える度によく思い出す事がある。

 

 「早く死ぬことができて嬉しい人もいる」

 

 7歳くらいの時、父に言われた言葉だ。

 

家族でゲームセンターに行った時、僕は1人でよくあるゾンビなんかの敵が出てくるシューティングゲームのデモを見ていた。

初めてそれを見た僕は「人は死んだらこんな風に骨が剥き出しになってボロボロな姿になるんだ。」と思って初めて「死」について考える出来事になった。

 

それから僕は死ぬ事が怖くなった。

「死んだらどうならのだろう?」

「みんなに会えなくなる」

「家族が死んじゃったら」

 

夜寝ている時に泣いてしまった時、父に「どうした、泣いているのか?」と言われたのに対して僕は「死ぬのが怖い」と言った。

 

 父は少し黙った後に話し始め、最後に「早く死ぬことかできて嬉しい人もいる」と僕に言って話が終わった。

 

その時の話はまったく覚えていないけれど、その一言だけは今でも覚えている。

7歳の僕に話しまったく理解できない衝撃的な言葉だったからだ。

 

亡くなってしまった今となっては何を考えてそう言ったのか、本当の事はわからないけれど時間がだった今なら少しわかる気がする。

 

今となっては7歳の子供に現実を叩きつけるものすごい鬼畜な父親だったと少し笑ってしまうような思い出だ。